トレンド PR

情熱大陸に出演の女性ねぶた師北村麻子と青森ねぶた祭りとは?!

記事内に商品プロモーションを含む場合があります
ねぶた史上初の女性ねぶた師・北村麻子さん。
父親のねぶた師である六代目ねぶた名人の北村隆さんに感銘を受け
勝負の世界でもある厳しい「ねぶたの世界」に入り結果を出しています。
 

ねぶた師であり母でもあり
とても強い人であることが分かります。

また、ねぶた祭りの由来や特徴についても
まとめてみましたのでお楽しみください。

女性初のねぶた師とは?

ねぶた師の史上初の女性ねぶた師が北村麻子さんになります。
長年にわたり女性のねぶた師はいませんでした。
 
なぜなら、ねぶたを作成するということは、危険な作業が多くあり
力が必要な作業も多くあり女性にその作業をこなすのは厳しいと思われてきたためです。
 
また、ねぶたには男性の激しさのような表現力が必要なため昔から男性の仕事とされてきました。
 
例えば、ねぶた師の仕事としては
絵筆で下絵を書いていくところから始まり、これが設計図のようなものになります。
 
そして大量の針金を使用し骨組みを作成していきます。
 
この骨組みが立体的に作り、かなりの大きさになるのです。
 
大きな木材を切ったり、金づちを使用したり高いところでの作業も多く危険もありますし
男性でも体力がないと厳しい制作していきます。
 
ですので女性がねぶた師になるのには厳しく無理があると思われてきたのです。
 
しかし北村麻子さんは、父親であり、ねぶた師である六代目ねぶた名人の北村隆さんの作品に
強く感動し、ねぶた師を志していくのです。
 
そして2012年に青森市民ねぶた実行委員会から依頼され
「琢鹿(たくろく)の戦い」でデビューを果たします。
またデビュー作「琢鹿(たくろく)の戦い」が優秀制作者賞を受賞。
 
女性ねぶた師ということもあり注目されるのでした。
 

青森ねぶたのねぶた師は何人?

現在、大型ねぶた制作者の人数は14名になります。

ねぶた師のほとんどはねぶた制作だけで生活している人になります。

しかし、経済的にねぶた制作だけで生計を立てるのはかなり厳しいのが現状です。

実際、毎年大型ねぶたを1台作るだけでは生活していくのは厳しいので
青森や各地域、企業から「小型ねぶた」や「中型ねぶた」の制作の依頼を受け、
生計を立てています。

このように皆さんがねぶた師を助け援助している理由としては、
伝統文化である「青森ねぶた祭」を守るということにも繋がってくるからです。

しかし、子供たちからは「将来、ねぶた師になりたい」と思われるくらい
青森市民のたくさんの人々からも
尊敬や憧れになっているのが「ねぶた師」でもあります。

未来ある子供たちの中から後継者を育成することが伝統的な文化の継承になると思います。

ですので、厳しい生活もありながらも伝統継承を担っているため
現在は14名のねぶた制作者となっているのです。

ねぶたの由来は?目的は?

青森ねぶた祭の起源は定かではありませんが
七夕祭りで行われる灯籠(とうろう)流しが変形したものだといわれています。

奈良時代に中国から伝わって来きた「七夕祭り」と、古くから津軽にあったならわしの、
精霊(しょうりょう)送りなどの行事が一体化して灯籠となり、
それが変化して現在の「ねぶた」になったと考えられています。

最初のねぶたの形態は「七夕祭り」であったと思われます。
そこに登場する練り物の中心が「ねぶた」と呼ばれる「灯籠」であり、

七夕祭りは7月7日の夜によごれなどを川や海に流す、
禊(みそぎ=罪やけがれをなくすために、川や海に行って水で体を洗い清めること)の行事として灯籠を流し、無病息災を祈っていました。

これが「ねぶた流し」と呼ばれ、現在の青森ねぶたの海上運行に表れています。

「ねぶた(ねぷた・ねふた)」という名前については、
東北地方の風習である「眠り流し」からきているといわれています。

眠り流しとは夏の農作業中に起こる眠気を追い払うこと、
その仕事の妨げとなる眠気を灯籠や笹竹などで海や川に流すという行事です。

いろいろな考えがありますが「ねむたい」が「ねぷたい」に変わり、さらに「ねぶた」に変わったと考えられています。

ねぶた祭りの特徴

ねぶた祭りの大きな特徴といえば、人形をかたどった大型の灯籠が特徴です。

青森ねぶた祭りで出てくる「山車灯籠(だしとうろう)」と呼ばれる灯籠は、立体的なもので人の何倍も大きな灯籠になります。

昭和初期頃まではお神輿のような状態で人形の灯籠を担ぐ、
「担ぎねぶた」が主流でしたが、
戦後からねぶたの大型化が進んで現在の形状になりました。

ねぶたの題材は昭和中期頃までは歌舞伎・三国志など日本の合戦物・中国の伝説が使われ制作されてきました。

近年では題材の種類も増えて、偉人や大河ドラマなどのテレビ番組を題材としたねぶたが制作されることもあります。

【プロフィール】北村麻子(きたむら・あさこ) 

史上初の女性ねぶた師・北村麻子さん

生年月:1982年10月生まれ(4人きょうだいの3番目)
出身地:青森県
二児の母
趣味:ガーデニング。

2007年:父親の北村隆さんが制作した大型ねぶた「聖人聖徳太子(ねぶた大賞受賞)」に強く感動し、ねぶた師を志します。

2008年:25歳の時、第六代ねぶた名人である父親の北村隆さんの下でねぶた修業を始めます。

2012年:青森市民ねぶた実行委員会から依頼されデビュー。
デビュー作「琢鹿(たくろく)の戦い」が優秀制作者賞を受賞。

2017年:制作作品「紅葉狩」がねぶた師の最高賞である最優秀制作者賞を受賞。

さいごに

ねぶた史上初の女性ねぶた師・北村麻子さん。
勝負の世界でもある厳しい「ねぶたの世界」に入り
結果を出している姿は素晴らしく思いました。
 

ねぶた師であり母でもあり
とても強い人であることが分かります。

毎年のねぶたの題材や制作作業も厳しいことはありますが
私たち観客を感動と興奮で魅了して欲しいものです。

 

さいごまで読んでいただきまして
ありがとうございました。

それでは、また!

error: Content is protected !!